青柴垣神事(あおふしがきしんじ)

場所   八束郡美保関町美保関 美保神社
日程   広くいえば、1月11日〜4月9日頃の一度祭まで
     メインイベントは4月7日午後

祭祀組織について(面倒なことがいやな人は読み飛ばしてください)
 美保神社の祭礼は當屋と呼ばれる祭祀組織によって行われいる。この頭屋制度がまた複雑。まず、前年の青柴垣神事の時、親が準官(後述)以上の者で15才以上の者から、この神事の當屋(平當)2人(一の当、二の当)が神職による鬮で決定される。平當は1年間の潔斎の後、この神事の主役?(神懸かりといわれる状態になる人達)を勤めるのである。平當を勤めた者は準官と呼ばれる。(準官でないと冬の諸手船神事の船の漕ぎ手にはなれない)。そして33才以上60才以下の準官で、父親が存命ではない者(かつ平當を勤めて3年経っていることが必要)の中から、客人頭(まるととう)が4月8日の後宴祭で選択される。客人頭は諸手船神事の主役?で、この神事では一の頭の脇當を勤める。客人頭を1年勤め、下席休蕃、上席休蕃(この神事では二の頭の脇當を勤める)をそれぞれ1年勤め、4年目に美保神社の数々の祭祀で中心的な役割を果す頭人(一年神主)となるのである。頭人になるまで4年間の潔斎を行わなければならない。平當、客人頭、休蕃、頭人を役前と呼び、この神事の大棚の前に並ぶなど、祭祀組織の中心となる。そして頭人を勤めた者は上官と呼ばれている。 

4月1日から、役前、上準官は神事のための供物、役前などがその前に着座する大棚など様々なものの準備を行う。写真は4月1日、両親が揃った家の女児によってつかれた米粉から作られた、酉と呼ばれる供物である。これは4月5日、神職によって油揚げを経て大棚に飾られる。このように様々な作り物が、神事会所(神社の下、手水舎脇)で行われていく。
4月4日、頭人、平頭などは、美保関から歩いて20分位の日本海側の才浦で塩カキを行う。一連の祭りの一つの区切りであり、この後、神事的な要素が高まっていく。
4月5日、様々な準備が終わった神事会所の大棚。7日、この前に平頭などが座り、参詣者は拝礼するのである。
供物などの準備とともに、神事の各役割の練習も行われる。當為知(たっしゃ)と呼ばれる者が小忌人(おんど、以前は平當の妻)を背負っている。小忌人は青柴垣の船を出る時はこのように背負われて出てくるのである。

 上記の様々な準備を経て、4月7日午後の御船となる。船には平當、小忌人などが乗船する。船に一同行列っして乗船する時には、平當は神懸かり状態にあるとされ、支えられながら乗船する。船は宮灘(神社前)に漕ぎだし?ていく。
 マニアックなことを知らせておこう。船が着岸した後、巫女(少女)が乗船するが、この巫女が被る笠の模様が、乗船前後で変わっているのだ。実はこれが重要なのだ。
 なお、この神事の撮影は人が一杯で大変。早い時間からの場所取りはもちろんのこと、キャタツは必要。パワーがある人は、近くの旅館の屋上が使用できるよう連絡しておくと便利だ。

まだまだ神事は続く。御船の後、拝殿にて、平當が奉幣の儀を行う。続いて御船番(上官の仕事、御船の統率者)の舞(この舞の後、平當は神懸かり状態から覚めることになる)、来年の平當の指名などである。4月8日には客人頭の指名、続いて後宴祭の直会となる。この直会も様々な行事があっておもしろいが、その中で写真に示す「注越の儀(つぎごしのぎ)」が行われる。まず一の頭(写真の烏帽子姿の人)が長柄の銚子、新客人頭が銚子を持ち両者背中合わせになって、酒を一の頭に注ぐ。(二の頭もほぼ同様)そして一の頭は、神職以下、上官に酒を注いでいくのである。
 4月9日以後も一度祭りなどがり、その後、平當、頭人の代替わりが行われる。

 よくこの祭りは「国譲り」の故事、つまり当社祭神コトシロヌシが国譲りの後、青柴垣をめぐらして船を傾けて隠れたという話を儀礼化したものと言われている。それ故「死と再生」の儀礼と解釈する人も多い。広い意味での「死と再生」の儀礼ではあるが、ここは単純に「海から福を招来する儀礼」と解釈しておきたい。
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