島根県立博物館展示部門の休止に寄せて

 

新しい博物館の開設準備作業が本格化するため、現島根県立博物館の展示を来る3月末をもって休止することになりました。振り返れば、この博物館の整備構想が具体化したのは、終戦から10年、「もはや『戦後』ではない」という有名な経済白書冒頭の句が示すように、日本が敗戦の混乱から立ち直り、生活に少しずつ余裕が出来、人々の伝統文化や芸術への関心も復活し始めた昭和30年頃のことです。当時の新聞記事の見出しに「松江に大博物館 大原美術館に負けぬ内容」と見えます。そして「松平不昧公顕彰記念特別展」を嚆矢として開館したのが昭和34年、世の中が皇太子(現天皇)ご成婚のお祝いムードに包まれていた年で、県レベルでは最も早い取り組みの一つでした。因みに、二科展の地方開催は本館が全国初です。

以来、40年余り、長蛇の列が城山駐車場まで続いたことが今も語り草の「松方コレクション展」、県民に3〜4年に一度の大きな楽しみとして定着した「日展」、空前の11万人の来館者を迎えた「古代出雲文化展」など数々の展示を催してきました。収蔵品も逐次充実が図られ、昭和62年には80点近いコレクションの寄贈を受け、橋本明治記念室が開設されました。また、折々の展示内容に合わせて、東郷青児、江上波夫といった人たちを招聘しての講演会も数多く開催しました。早い時期から設けられた博物館研究室の成果は、今日に引き継がれています。一方、特に一階の小展示室を中心に、職域の同好会や児童作品展など広く県民の文化活動を発表の場としても親しまれ、様々な面から、本県の文化事業発展の一翼を担ってきたところです。道路の拡幅で今は少なくなりましたが、館南東側の桜並木は開花が早く、時期には瀟洒な建物をバックによく紙面を飾りました。

この博物館は総合博物館として船出ましたが、平成3年には全国有数の鳥類標本伊達コレクションなど自然系の収蔵品が三瓶自然館へ、また平成11年には美術系収蔵品が博物館と同じ菊竹清訓氏の設計になる県立美術館へと移管され、それぞれ格段に機能を充実して巣立っていきました。

その後、神庭荒神谷における青銅器遺物の大発見などを機に歴史民俗博物館の新設が具体化したことに伴って一時休館ましたが、平成12年に、それらの発見の成果の一部などを加えてリニューアルオープンしました。以降、大規模な企画展は組めなかったものの、郷土の歴史や生活に密着したテーマや埋蔵文化財発掘成果の速報などを中心に、スポット展示を年に数回開催してきました。このうち「懐かしの一畑パーク展」「しまねお雑煮マップ」「絵図でたどる島根の歴史」などの企画は特に高い人気を博しました。また、収集資料の中から発見し、正月行事に因んで展示した、江戸時代に出雲大社の御師が布教の際に信徒に分かった十六島海苔は全国放映されました。

その掉尾を飾るのがこのたびの「天倫寺の名宝展」です。

30年ぶりの出陳となった白隠の釈迦図や、大雅のユーモラスな寿老図など、是非ともご覧頂きたい逸品ばかりです。

県立博物館もいよいよ古代出雲歴史博物館に襷を渡す時期を迎えました。収蔵庫では国宝の銅剣をはじめ数多くの品が出番を待っています。

         (島根県立博物館長 槻谷敦文)

この記事は、平成17年3月3日付け山陰中央新報に掲載されたものです。

県庁方面から見た県立博物館(昭和30年代)