豊かさの証明



私と島根
筑紫哲也
筑紫哲也
ジャーナリスト。昭和10年大分県日田市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和34年朝日新聞入社。昭和46年にワシントン特派員として、ウォーターゲート事件を終始追跡。帰国後、テレビ「こちらデスク」のキャスターとして活躍。「朝日ジャーナル」の編集長を経て、昭和62年編集委員に就任しニューヨーク駐在となる。平成元年に退社。以後TBS「筑紫哲也ニュース23」のキャスターとして活躍中。バイタリティーの源泉は“好奇心”。主著に「放逐―アメリカが燃えた時」「筑紫対論」他、訳書「メディアの権力」がある。
明々庵(松江市)
明々庵(松江市)

いつのころからか、私は「県民所得」なるものを信用しなくなった。週末はほとんど東京を留守にして全国を歩き回っているうちにそうなってしまったのである。
たとえば、地場産で変化に富んだ新鮮な食物がしかも安く手に入るとする。そういう地ではジャンクフードのレストランや均質的なスーパーはそう繁昌しない。その分だけ、表面的な経済活動は低いことになり、県民所得へのはね返りも少ない。同様に、土地が安く家の建築費も安い所では、不動産業や建設業の売り上げはそれだけ低くなり、これも県民所得に響いてくる。だが、そういうものがみな高い所が本当に豊かだと言えるか。むしろ逆だろう。
私が近年訪れたなかでも、島根は豊かな地だと私は思っている。経済統計に基づいてものを見ている人には、これは大いに異論があるところだろう。県民所得のランクで言えばたしかに島根は高い所にはいない。
だが、本当の豊かさとは何だろう。
それを支える「ゆとり」には、時間、スペース、お金などさまざまな要素がからんでおり、その結果として人々がどこまで「心のゆとり」を持って生きているかが、本当の豊かさを決めるのだと私は思う。お金(経済)はその一部に過ぎず、しかも年々の所得はそのなかでもフローの部分に過ぎない。私が島根について驚嘆するのは、文化と自然をふくめたさまざまなストックの奥深さである。
普段の生活のなかにこれほどに「お茶の文化」が自然に溶け込んでいる地は他にないが松平不昧公以来のこの習慣については「文もせず、武もせず、ただ茶ばかり飲む」という自己批判もあるのだという。それはそれで自己批判としては一定の正当性はあるのだろうが、他者、なかでも東京などという非人間的な空間に住む自称「時間貧乏人」の私などには何と羨ましい境遇かと思えてしまう。「茶ばかり飲む」ことが可能だということは、それだけ豊かさとゆとりがある証拠ではないか。自分の趣味で言えば、こんなに思い思いに個性的で、表面的な名利を求めずにさまざまな民窯、個人窯の陶芸が花咲いている地は他に滅多にない。これも私の物指しから言えば豊かさの一証である。道理で若いころ“戦友”だったジャーナリストの先輩、木幡修介氏(現(株)山陰中央新報社社長)が郷里に戻ったら東京などに目もくれないわけだと久しぶりに島根を訪れた私は納得して帰ってきた。

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