茶道三斎流家元二女 写真 父の教えを抱きながら歩き始める
もりやま きょうこ
森山恭子さん(出雲市)

花をのみ 待つらむ人に山里の
雪間の下の 春を見せばや
遥か昔、千利休が春の訪れを待ちわびる弟子に諭して聞かせたという。
茶道は庭の草木に移り変わる四季を感じ取り、季節の様式を慈しむ。新春を祝う初釜は、どの流派も恒例であるが、三斎流では今年の春の訪れが、悲しみをいっそう誘う。
森山恭子さんは、出雲市の中心地にある茶道三斎(さんさい)流家元の二女として生まれた。父である十八代家元、宗瑞(そうずい)宗匠が昨年10月突然亡くなるまでは、神戸で働き普通の娘と変わらない生活を送っていた。
若い彼女にとって田舎は伝統や作法、形式の中にあり、都会の生活は気楽だった。姉が嫁いでいってからは、いつかは帰る覚悟があっただけに、好きなことを気兼ねなくしておきたいとの思いもあった。
「迷う暇もなく、慌ただしく帰ってきました。父が生きているうちに親孝行もできず、悔いが残ります。私がこの道を受け継ぎ母を助けていくことが、何よりの供養だと思っています」
茶室に漂う凛とした静けさの中に思いつめた気迫を感じる。
三斎流の流祖である細川三斎(忠興)は、利休について茶を学び、利休流を最も忠実に伝えたといわれる。戦国の世を生き抜いた古武士の厳格で丁寧な茶風は、現在三斎流の中に変わることなく継承されている。のちに松江藩七代目藩主・松平不昧公(まつだいらふまいこう)に大きく影響を与え、三斎流が出雲の地に定着した。
そして先代家元が出雲市内に建立した道場「観翠庵(かんすいあん)」を核に、三斎流の伝承と普及に尽力している矢先の家元の不幸だった。
「悲しんでばかりいられません。小規模だからこそ門下の人たちがひとつになって支えてくれる。これは試練ではなく与えられたチャンスだと、前向きに受け止めています。子供のころは普通の環境に憧れもしたけれど、今ではこの家に生まれ、父の娘に生まれたことを誇りに思います」
まるで激流に種を落とした雑草が可憐な花を咲かせようと、川岸でその根を踏ん張っている姿に似ている。親に守られていたあのころとは違い、自分の生き方での暮らしがここから始まる。
学生時代にホームステイ先のアメリカで積極的に茶道を紹介した。出雲に帰ってからも早速、こども日本文化おもしろゼミナールで小・中学年に教える。若い世代の人たちにこのすてきな文化を伝えたいと願う。外国人や子供たちの、作法や形式よりもお茶の心を学ぼうとする姿勢に触れ、気取らず親しむ風通しの良さも必要であると感じた。
「今年1年間はお稽古に励みます」という傍ら、総合文化である茶道にも役立つとカラーコーディネートの勉強もする。
今更ながら、思い出すのは炭切りや庭掃除を自ら率先して行う父の姿。その無言の教えを胸に素晴らしい女性になりたいと亡き父に誓った。新たな風が吹きそうな三斎流の静かな春の訪れである。

三斎流茶道の継承はとても威しい。普段のお稽古にも熱が入る
三斎流茶道の継承はとても威しい。普段のお稽古にも熱が入る

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