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福島絵美・・・・・
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異質の文化から
自分流を産み出す陶芸家。
「小さいころから外国に行って何かしたいと思っていたんです。だから本当は、獣医になってアフリカに行きたかった」

 ショートカットが細身の体と顔立ちによく似合っている福島さんは、穏やかなまなざしで笑う。

 大学受験に失敗し、獣医への道を断念した春、今は亡き父親が脱サラで始めた陶芸工房「松江陶苑とうえん」を継ぎ、現在、松江市の「出雲かんべの里」の工芸館で作陶に励んでいる。「父にアメリカ人の友人があり、陶芸関係で外国へ行けるかもしれないって思ったんです。動機が不純ですよね」とはいえ、幼いころから身近に土があり、ろくろや窯がある暮らしの中で育ち親しみもある。仕事が自己表現の一つであるならば、結局、自分を生かし、表現する最も近い存在だったのだ。

 そして、瀬戸市の窯業職業訓練校で学び、伊賀焼の窯元三田窯で修行。その後松江で活動を続け、昭和59年、とうとう海外への一歩を踏み出した。青年海外協力隊員としてスリランカヘ陶磁器の技術指導者として派遣されたのだ。「現地の時間の流れは、とてもゆったりとしていて、日本とちがって生活も人々も驚くほど素朴で簡素でした。でも、そこで生きることへの原点を垣間見たような気がします」。福島さんにとって海外を体験することは、自身の感覚をグローバルにするとともに、いろいろな国の人の生きざまを通して自分を見つめることなのだろう。

 陶芸家である福島さんの趣味は、ジャズダンスだ。もう8年も続いている。陶芸とダンスは静と動のまったく異質なものだが、ダンスを休んでいるときは作陶の調子も今一つ出ないと言う。「自分の中で創造し、表現するということでは、共通するものがあるんです。だから、私にとって体や気持ちのバランスをとるために、この両方が必要なんですね」

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生き生きと語る福島絵美さん
 父親が20年かけて築いた松江陶苑の色は、鉄色がかった赤だ。鉄を使って赤を出すには、それなりの経験と技がいる。福島さんは、この赤の色を大切に守り、また自分なりの創意工夫でさらに追求していこうとしている。そこには、二代目というプレッシャーから開放された福島さんの気負いのない素顔が見える。

 今年の5月には、ニューオーリンズの小さな会場で、現地の友人と二人展を開くという。来年は陶芸生活20年。さまざまな体験を通して作品に味わいがにじみ出てくる、これからの陶芸家の一人だ。


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