日本三大神事
ホーランエンヤ
「剣櫂」
歌舞伎姿の「剣櫂」は剣の
形をした櫂を勇壮に操る
けんらん豪華な船行列
けんらん豪華な船行列は約1キロメートルにも及ぶ
「ホーランエンヤ、エンヤサノサッサ・・・」
川面に力強い歌声が響きわたる。その唄に合わせ、何万人もの観衆の注目を浴びながら歌舞伎役者に扮する「剣擢」が勇壮な踊りを繰り広げる。櫓に置かれた四斗樽の上で華麗な身のこなしを披露する「采振り」が、采で大きく弧を描きながら天を仰ぐ。そろいのはっぴ姿の男たちが唄に合わせて一糸乱れず櫂をこぎ、あどけない子供たちが太鼓をたたく。水上を舞台に、百隻もの船が五色の旗を風になびかせけんらん豪華な時代絵巻さながらに行列を成すその祭礼に、橋や川岸に詰めかけた観衆から大きな拍手がわき起こる。

松江市の城山稲荷神社と東出雲町の阿太加夜神社の両社で執り行われる12年に一度の式年行事「ホーランエンヤ」が、今年の5月盛大に行われ、35万人の人出でにぎわった。

大阪市天満宮の天神祭、広島県厳島神社の管絃祭とともに日本三大船神事の一つといわれる「ホーランエンヤ」は、神社の神霊が本社から他のところに渡御になるときに行われる祭典、いわゆる神幸祭だ。今年は同じ時期に、松江市と大社町を会場に全国伝統芸能祭が開催されたこともあり、島根県内のみならず全国各地から観客が押し寄せた。

この「ホーランエンヤ」が始まったのは、江戸時代の初期からと伝えられている。城山稲荷神社は、徳川家康の孫にあたる松江藩主松平直政が、前住地の松本で崇敬していた稲荷を勧請してまつるようになり、藩主松平家の守護神とされていた。そして、この管理にあたっていたのが東出雲町の阿太加夜神社の社司であった。一説には、直政が松江に来てからちょうど10年目に天候不順に見舞われ、稲荷神社から本務社である芦高神社(現阿太加夜神社)に神幸させ、出雲の国の五穀豊穣の祈とうを行わせたことが始まりといわれている。

神幸祭は、御神霊が城山稲荷神社から宍道湖と中海をつなぐ大橋川を通り阿太加夜神社へと運ばれる渡御祭に始まり、阿太加夜神社で7日間の祈とうの間に、中日祭として参道で陸船行列を組んだ櫂伝馬踊りを奉納し、そして、逆の道順で帰っていく還御祭で締めくくられる。

特に渡御祭と還御祭は、約10キロメートルの距離を長さ約1キロメートルにも及ぶ船行列がみごとだ。船行列に華を添える「櫂伝馬船」は、かつて、御神霊が乗った神興船を馬潟地区の漁師が助け、それを喜んで櫂を持って踊ったことが起源であり、約140年前から加わったものという。五大地と呼ばれる馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の5地区がそれぞれに「櫂伝馬船」を出し、各地区に受け継がれた踊りや装飾を競っている。

御神霊をのせた神興船が見えてくると、しわを刻んだお年寄りは、今回も元気で拝めたことに感謝しながら両手を合わせ頭を下げる。12年に一度という間隔でありながら、これだけ多くの人々を集め、また伝統を絶やすことなく受け継がれている式年神幸祭「ホーランエンヤ」は、平和な暮らしを願う神への祈りそのものなのである。


24号目次へ