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| 柿本人麻呂 |
歌集「万葉集」に、柿本人麻呂の作品が多く記されていることはよく知られている。しかし、彼が朝廷に遣えた役人で、島根県石見地方へ派遣されこの地で亡くなったと伝わることはそう知られていないだろう。石見国より妻と別れて上るときの歌がある。
『・・・寄り寝し妹を露霜の置きてし来ればこの道の八十隈毎に 万たびかへりみすれど(中略)偲ふらむ妹が門見む靡けこの山』。
互いに寄り添って寝た妻を置いてきたので曲がり角が来るたびに振り返って見るが、どんどん里から遠くなって妻のいる家が見えない。だから山に低くなってくれと願っている歌である。
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| 高津柿本神社 |
しかし彼は結局、旅の途中で亡くなるという運命をたどった。
『鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらるむ』
自分は岩を枕として死のうとしている。それを知らない妻は、ひたすら私を待っているだろう・・・。
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| 戸田柿本神社 |
やりきれない悲しみが伝わる。実は人麻呂については、生年月日や生誕の地、動向さえも定かでない。しかし常に妻のことを恋しく思う愛情深い男性であったことは歌を見れば明確である。
歌には”鴨山“など島根県内のものだと思われる地名が随所に用いられている。そこで、この情深き歌人に触れる旅をしてみてはどうだろう。生誕の地とされる戸田柿本神社、鴨島で死没した人麻呂の霊を祀る高津柿本神社、そして隣接する万葉公園・・・。
万葉ロマンに思いを馳せる大人の旅である。
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| 雪舟 像 |
小僧の頃、涙で鼠の絵を書き和尚を驚かせたと伝えられる雪舟が石見の地へ足を踏み入れたのは文明10(1478)年。各地を巡って落ち着いたのが、江津市の小川家であり、ここに雪舟が作ったとされる庭園がある。また、益田市の万福寺、医光寺にも雪舟作の庭園がある。万福寺は、庭の中心となる石組みの下に”心字池“が作られるなどする池泉鑑賞回遊式庭園である。一方、医光寺は樹齢400年といわれる桜の方が有名になってはいるものの、その桜が鶴池に姿を映す様には例えようのない趣きがある。
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| 医光寺の総門 |
大分県などにも雪舟庭園はあるのだが、石見地方にこだわって雪舟を垣間見る旅には訳がある。
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| 医光寺の庭園 |
雪舟は、後に山口で十数年暮らしたにもかかわらず、また石見に戻り東光寺の住職として天命をまっとうしているのだ。それは、戦乱とは無縁の静かな地を好んだ彼自身の選択であったとされている。東光寺は焼失したが、大喜庵として再建され隣接して雪舟の郷記念館がある。彼の作品の展示はもとより墓もここに作られている。
雪舟が晩年の棲家とした石見地方は、今なお変わることなく平和な時を刻み続けている。 |